今回は私が基板業界へ入ったころのお話です。
私が学業を終え、新入社員として入社したのは基板の製造会社でした。
バブル時代の真っ最中。やや後半だったかな。
同期入社も数十人いましたので全員の顔と名前がなかなか一致しなかった。
基板作成の工程は種類が多い中、私は後半のレジスト工程に配属でした。
入社前の面接では技術部へ希望を出していたのですが、入社人数が多く
とりあえず全員を製造部へという事でした。
配属された部署ではおじさんばかり、1番若い先輩でも自分より10歳くらい上。
他の部署には年の近い先輩がいっぱい居るのに、どうしてこんな部署へ。
しかもシンナーをはじめ、薬品の匂いがすごくて、最初の1週間くらいは
多少頭痛もあり、らりっているような状態でした。
とんでもない部署へ配属されたと思いましたね。
当時はピン3、ミニVIA、6層も基板作成にはちょっと難しいくらい。
片面基板も未だかなり作成してました。
回路形成も現在のようなドライフィルムもありましたが、、印刷での形成もあり。
レジスト工程ではスプレーやカーテンコートではなく、液状レジストはありましたが印刷で
熱硬化もかなりありました。
以前の技術から新しい技術へ変わっていく、まさにその時でした。
試作品は従来のやり方、量産品は新しいやり方。という具合が多かったと思います。
数量が少なければ以前のやり方の方が早かったからかな。
その当時では両方のやり方を覚えなければならなかった。
先輩方はおじさん達だから、超ベテランばかり。
我々に教えながら、受け持っている仕事はどんどんとこなしていく。
早くこの環境に慣れ、作業も一人でできるようにならなくてはと必死でした。
手順も一通り覚えて、多少気持ちに余裕が出てきたころ、ふと気が付きました。
この工程はとんでもなく難しい。
同期入社が多かったので当然他部署の仲間と情報交換はしてました。
他の工程の話しを聞いても比較的、セットすれば機械がやってくれるとか
チェックする項目はそれほど難しくないとか。そんな工程が多かった。
隣の芝生は青く見えたものでした。
後になって理解できたのですが、作業者が効率よく出来るよう
係長、班長、ベテラン者が機械や薬品の細かな調整等をしていたからです。
私の工程は印刷機を使用しての仕事ですから、基本的に1人に1台。
ですからメンテナンスも調整も自分でやって、使いやすくしておかなければならい。
細かなところは機械の癖もあるのでその機会を使っている人しかわからない。
誰に聞いても教えてくれないというより、教える方も的確にできない。自分で把握するしかなかった。
自分が作業する場所の気温や湿度によってインクの粘度をその都度調整しなければならない。
それに加え、インクの種類、基板の種類によって基板と版の距離、印刷スピード、
これもその都度微妙に異なる。
また、印刷する版は繊維性スクリーン(布みたいなもの)ですから歪みもあります。
それを0.05mmの誤差で目視で合わせなければならない。
最終調整には微妙な動きをするダイヤルが4つだったかな。
メモリはついているがほぼ手の感覚だけ、印刷途中の圧力も手の感覚と目視。
スピードも目測のみ。すべてが自分の判断。(これじゃ職人だよと思ったものです)
毎日が難しかった事を覚えてます。
冒頭でも記述したよう、基板の工程は多い。一般的な基板でなければ更に増える。
どの工程でも日々、メンテと調整を行っている。
たまたま自分の工程ではそれが個々になっていただけの事である。
どの工程でも微妙な変化に対応する、微妙な調整があるはず。
基板の作成は奥が深く難しい。と今でも思います。
この基板業界へは新入社員で入りました。
2018.12.25 | CATEGORY: ブログ